「なぜ唐津はこうなのか?」の声は今日も地元から
唐津市は衰退してますか?
その答えは誰にお聞きするか以上に、唐津の中心からどれだけ離れているかと相関関係を持つように「深刻度は吸収された町村」で深刻な衰退の回答を頂く。
「皆さんは街づくりの主語」にされていますか?
昨日は、唐津市呼子を訪れた。 合併前には呼子町と呼ばれ、有名な呼子の朝市には毎日賑わいがあった町であった。呼子町は母の地元であり、自分も幼少の夏を何度も過ごした第二の故郷である。
「唐津市と合併なんてせんほうが良かった」
「唐津市と合併なんてせんほうが良かった」
嘗ての賑わい以上に、呼子の皆様の危機感や不安の土台に重なるのはまさにそのお声である。旧唐津市とかつての呼子町の両方の血が流れる自分にとって大変申し訳ない状況であり、私に出来ることは全て捧げる覚悟である。さらに、呼子に由来を持つ若い人材の参加も心強い希望のチカラでございます。
唐津市の合併から20年目を迎える2025年。
嘗て、鯨組主中尾家を筆頭に呼子の勢いの舵取りを地域全体が一丸となっていた呼子にも、大きな舵取りの変革を持って観光、経済、教育、健康、そして大切な環境をいずれも循環させるべきリーダーを選ぶ時だと強く感じた。
インバウンドのお客様だけでなく、地元と日本の観光客の皆さんで朝だけでなく、ナイトライフも謳歌頂ける呼子の新たな朝市の姿、さらに地域全体が人手不足をデジタル・新たな経営ノウハウで効率と効果を高め豊かに支え、稼げ、さらに2代目、3代目が呼子を将来の生活の場と出来る呼子へと舵を取り戻すときである。
さらに、それは鎮西町、肥前町、相知町、厳木町、浜玉町、北波多村、そして七山村にも同じく言えることである。
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